念願の中南米への出張へ

Americae mappa generalis : secundum 徒然なるままに

ついに2024年2月にグアテマラとコスタリカに出張で行けることになりました。

これまでの10年くらいの中南米との関わりから考えても感動的なので、少し振り返ってみたいと思います。

①そもそもなぜ中南米なんだっけ

そもそも中南米に興味を持ったきっかけは、祖父の影響が強かった。祖父は小さい僕に対して幼い時からスペイン語を教えてくれていた。兄だった僕に「アホと言うな、スペイン語でアホはにんにくという意味だ」とよく分からない理由でスペイン語を教えてくれた。アホと言えない僕は「バカ」と言った。バカというと祖父はまた「バカは牛」と教えてくれた。

幼かった僕は、きっとその時から、ほかの国の文化や言語に興味を持つようになったのだろう。当時日本語、住んでいる世界が当たり前の子供において、良くわからないスペイン語圏の話をして怒られた?ことは印象的だったのだろう。

②大学時代

大学時代は、ぼんやり第二外国語でスペイン語をやりたいなと思っていた。英語でない言語を学びたかったし、祖父との思い出もありやっぱりスペイン語を学びたかった。中国語は漢字だし、ドイツ語は使う機会ないし、フランス語は発音が面倒だし、やっぱりスペイン語だよなと思った覚えがある。

ただ、いざ入学すると法学部だったこともあり、第二外国語にスペイン語はなかった。

ただどうしても諦めきれなかった僕は独学で勉強を開始した。自分でテキストや単語帳を買って勉強するには限界があり、他学部の授業を聴講することになった。少しづつスペイン語を勉強する私は、1年生の春休みには大学から奨学金をもらってスペインに1カ月の語学留学へ。また2年生の時は私費でコスタリカに短期留学した。どちらの時もスペイン語は全然話せなかったと記憶しているけど、ほんのわずかでも伝わった時の達成感や未知なものを模索しながらつかみ取る感じがとても楽しかったのを覚えている。3年の時にはメキシコへ1年間の交換留学が決定した。

メキシコへの交換留学も色々と思い出深い。1年間で何が変わったか、成長したかと言われればよくわからないというのが正直なところ。何がよかったのだろう。

でも一つ言えることはメキシコでの経験がすごく自信になったということ。何も知らないところで、何もない状態から、友人を作り、単位をとり、充実した日々を送れたことはとても自信になった。

挫折

メキシコから帰った僕は自信に満ち溢れていた。就活も余裕だと思っていたし、特に対策もせずに受ければうかるっしょと思っていたと思う。ただ、現実はそうは甘くなかった。就活の時に僕は「数年間会社を働いて人脈やお金を貯めたら辞めます」と豪語していた。結果は惨敗。本音で就活をしていたはずが、いつしか本音を隠し、自分が何をしたいかわからなくなっていたのかもしれない。まあ、でもきっと起業がしたかったし、人の下について働くのも嫌だったし、ペコペコするのも嫌だったし、お金も稼ぎたかったんだろうな、わがままだね(笑)。

「コンビニで世界を変えられる」かなと思い某社に入社した。入社したからには社長になる気満々だった。また幸いなことに、人事や上司、先輩らもお前は将来出世して、会社を背負う人間になると言われていた。まんざらでもなかったと思う。

やっぱりメキシコに携わりたい

順風満帆であった社員時代。出世もして、名声もあり、人間関係も悪くなかった。でもこのまま続けていていいのかなと思うことがあった。何かが足りないのだ。それがメキシコ。幼い時の想い、どうしてもやりたかったスペイン語、その思いが捨てきれなかったんだと思う。会社を辞めることにした。

大学院での取り組み

大学院では、ラテンアメリカと日本の新規事業の研究をしていた。別の言い方をすればグローバルマーケティング。

国際機関での仕事

大学院を修了し、中小企業診断士の資格を有していた僕は、国際機関に拾ってもらえることとなる。担当は中南米地域。ようやく中南米と関わる仕事を得ることができたのだ。スペイン語を話せる人はたくさんいる中で、スペイン語が話せて経営がわかることがきっと採用の決め手だったのだろう。また大学院の時に大使館でインターンしていたことも好印象だったはず。

コメント

タイトルとURLをコピーしました